探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-ひ-


ビーストン,L・J(Leonard_John_Beeston)

本名もビーストンだが、名は不明。1874年(明7)生まれ。別名ルシアン・デイヴィス、リチャード・キャムデン。
1908年(明41)、セキストン・ブレーク探偵談を執筆。
1920-30年代(大10-昭10年代)にイギリスの「ストランドマガジン」「ベアースン」などの雑誌にて活躍した。当初、アメリカでは知られていなかったが、江戸川乱歩の指摘により、「The Pipe」(1924年(昭13)に「ストランドマガジン」に初出)が、1951年(昭26)に「「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に再録される。
日本では1921年(大10)に西田政治により「マイナスの夜光球」(1921年(大10))が紹介され、喝采を浴びた。「新青年」に71編が載り、作家別掲載数トップを占める。結末のどんでん返しが特色。
1963年(昭38)、死去。

幻影城掲載誌:22/


ビガーズ,アール・デア(Eatl・Derr・Biggers)

1884年(明17)、アメリカのオハイオ州生まれ。ハーバード大学卒。
1912年(明45)、初の戯曲「If_You're_Only_Human」を上演。
1913年(明46)、「ボルドペイトへの7つの鍵」を発表。
1925年(大14)、チャーリー張シリーズ第一作の「鍵のない家」を「サタディ・イブニング・ポスト」に発表。
1930年(昭5)、「チャーリー張の活躍」を発表。
1930年(昭5)に発表した「観光団殺人事件」は、1931年(昭6)に「探偵小説」に伴大矩が「世界観光団の殺人事件」として翻訳。
また、「チャーリー張」シリーズはワーナー・オーランド主演により映画化され、大変な評判となった。
1933年(昭8)、心臓病により死去。


日影丈吉(ひかげ・じょうきち)

本名片岡十一。1908年(明41)、東京日本橋生まれ。アテネ・フランセ、川端画学校に学ぶ。アテネ・フランセではSF作家の今日泊亜蘭と同級だった。その後、フランスに渡る。別名片岡受安、樹鞍、ジヤン・カア。
1923年(大12)、雑誌「童話」に入選。
1930年(昭5)、坂口安吾とともに同人雑誌「言葉」を発刊し、美術史を執筆。
1949年(昭24)、「かむなぎうた」が「宝石」百万円懸賞コンクールC級(短編)に二席入選し、「別冊宝石」に掲載。
1955年(昭30)、日本探偵作家クラブの書記長、さらに副幹事長、幹事長、副会長に就任。
1955年(昭30)に「宝石」に発表した「狐の鶏」で、1956年(昭31)、第9回日本探偵作家クラブ賞受賞。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1956年(昭31)に「宝石」に発表した「奇妙な隊商」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1957年(昭32)に「小説公園」に発表した「爆発」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)、角田喜久雄を中心に、大河内常平楠田匡介中島河太郎千代有三山田風太郎山村正夫らで親睦会「例の会」を結成。
1958年(昭33)に「探偵倶楽部」に発表した「捩れた輪」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)、「内部の真実」を刊行。
1959年(昭34)に「宝石」に発表した「吉備津の釜」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1960年(昭35)に「宝石」に発表した「からす」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)に「宝石」に発表した「女優」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「別冊小説新潮」に発表した「犬の生活」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)に「宝石」に発表した「現代呪法」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「宝石」に発表した「三の酉」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「推理ストーリー」に掲載された「鳴神」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1969年(昭44)に「推理界」に発表した「戯れに死を選ぶまじ」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1975年(昭50)に刊行した「暗黒回帰」が第3回泉鏡花文学賞候補となる。落選したのは「暗黒回帰」が新作ではなく未刊短編集だったからだという。
1979年(昭54)、中井英夫泡坂妻夫とともに全編暗号で書かれた短編集「秘文字」を刊行し、「こわいはずだよきつねがとおる」を発表。
1984年(昭59)に「小説現代」に発表した「明治吸血鬼」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和60年度」に収録される。
1989年(平1)に刊行した「泥汽車」で、1990年(平2)に第18回泉鏡花文学賞受賞。
1990年(平2)、「幻影城」最終号に前編が掲載された「夕潮」は休刊の際に後編が行方不明になっていたが、11年後に奇跡的に発見され、刊行。
1991年(平3)に「ミステリマガジン」に発表した「鳩」は日本文藝家協会の「現代の小説 1992」に収録される。
フランスミステリの翻訳多数。渡辺啓助阿部主計らとともに、東横線グループを形成。
1991年(平3)、心不全のため死去。

幻影城掲載誌:7/8/14/18/19/44/49/50/53/54/別冊幻影城掲載誌:2/日本長編推理小説ベスト99/幻影城ノベルス/幻影城ミステリ/


氷川瓏(ひかわ・ろう)

本名渡辺祐一。1913年(大2)、東京生まれ。渡辺剣次は実弟。ひかわ玲子は姪。東京商科大学卒。本名による著作もある。
1946年(昭21)、渡辺剣次編集の自筆同人誌に掲載されていた「乳母車」が江戸川乱歩の目にとまり、「宝石」に発表。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に参加するなど、文学派として活躍した。
1951年(昭26)に「宝石」に発表した「窓」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1952年(昭27)、本名で「三田文学」に発表した「洞窟」は直木賞候補となる。
1953年(昭28)に「宝石」に発表した「睡蓮夫人」により、1954年(昭29)、第7回探偵作家クラブ賞の新人奨励賞受賞。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。
1956年(昭31)からは、大坪砂男とともに幹事となり、木々邸で文学派探偵作家を主として招いた新年会が催される。
1961年(昭36)、同人誌「文学造型」を主宰。
1963年(昭38)、木々高太郎を中心とし、白石潔椿八郎鷲尾三郎らとともに同人誌「詩と小説と評論」を創刊。
幻想的な探偵小説を得意としていたが、のちに純文学に転身。
昭和30年代には江戸川乱歩作品の子供向けリライトや「涙香死美人」など乱歩名義の翻案を手がけた。また、「野口英世」の伝記「帰国」を書いている。
1989年(平1)、心不全により死去。

幻影城掲載誌:2/4/6/7/8/10/13/24/52/別冊幻影城掲載誌:2/


久生十蘭(ひさお・じゅうらん)

本名阿部正雄。1902年(明35)、函館市生まれ。別名安部正雄、覆面作家。函館中学校の上級に牧逸馬がいた。牧逸馬の父の長谷川淑夫が経営する函館新聞社に入社し、石川啄木の女婿石川正雄と知り合う。
1923年(大12)、同人誌「生」に詩、小品、戯曲「九郎兵衛の最後」などを発表し、蝙蝠座を結成。
1926年(大15)、岸田国士に師事。
1928年(昭3)、新築地劇場の土方与志の演出助手になる。また、今日出海らと「悲劇喜劇」の編集に従事。
1929年(昭4)、渡仏し、パリ高等物理学校、国立パリ技芸学校でレンズ工学や演劇映画を学ぶ。新劇界の重鎮シャルル・デュランに師事し、十蘭の筆名の元となる。
1933年(昭8)、帰国後、明治大学文学部講師、文学座舞台監督、大政翼賛会文化部嘱託の傍ら、旧友水谷準の編集する「新青年」に本名で翻訳や欧州見聞録を発表。
1934年(昭9)、本名で「ノンシャラン道中記」を「新青年」に発表。
1935年(昭10)、本名で小説「黄金遁走曲」を「新青年」に発表。
1936年(昭11)、「金狼」を久生十蘭名義で「新青年」に発表。
1937年(昭12)、「湖畔」を「文芸」(1952年(昭27)にオール読物に改稿)発表。
1938年(昭13)、「新青年」に「魔都」を発表。
1939年(昭14)、「新青年」に発表した「キャラコさん」が第一回新青年賞受賞。
1939年(昭14)、六戸部力名義で、「顎十郎捕物帳」シリーズを「奇譚」に発表。
1939年(昭14)、「海豹島」を「大陸」に発表。
1940年(昭15)、「オール讀物」に掲載した「葡萄蔓の束」と「講談倶楽部」に谷川早名義で発表した「平賀源内捕物帳」により、1940年(昭15)に第11回直木賞の候補となる。
1942年(昭17)、「オール讀物」に掲載した「三笠の月」により、1942年(昭17)に第15回直木賞の候補となる。
1942年(昭17)、「オール讀物」に発表した「遣米日記」は、1942年(昭17)に第16回直木賞候補となった。
1943年(昭18)、「新青年」に発表した「真福寺事件」は、1943年(昭18)に第17回直木賞候補となった。
1943年(昭18)、海軍の報道班員として南洋方面に従軍。
1947年(昭22)、「ハムレット」を「新青年」に発表し、1948年(昭23)に第1回探偵作家クラブ賞短編賞候補作となる。
1947年(昭22)に「苦楽」に発表した「予言」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1948年版」に収録される。
1951年(昭26)に「オール讀物」に発表した「鈴木主水」により、1951年(昭26)、第26回直木賞受賞。また、同時に「オール讀物」に発表した「白雪姫」が候補となる。
1953年(昭28)に「読売新聞」に発表した「母子像」が、吉田健一によって訳され、1955年(昭30)の「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」主催の第二回世界短編小説コンクール一席入選。
多くの作品では外国作品から中心アイデアを借用していたが、大変な凝り性のため、作品を発表したあとも何度も書き直して発表しており、オリジナルは散逸してしまっている。
1957年(昭32)に「オール読物」に発表した「呂宋の壷」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和32年度」に収録される。
1957年(昭32)に発表した「喪服」は日本文藝家協会の「戯曲代表選集 第6」に収録される。
1957年(昭32)、食道癌により死去。

幻影城掲載誌:1/2/11/28/47/日本長編推理小説ベスト99/


久山秀子(ひさやま・ひでこ)

本名芳村升。1905年(明38)、東京下谷生まれ。女性名だが、正体は男性。別名久山千代子。
マッカレーの「地下鉄サム」に影響を受けた、1925年(大14)、「浮かれている「隼」」が一般応募入選作として「新青年」に発表。
1926年(大15)、「新青年」に発表した「チンピラ探偵」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
1927年(昭2)、「探偵趣味」に発表した「刑事ふんづかまる」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1928年(昭8)、「探偵趣味」に発表した「隼のお正月」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第四号(1928年版)」に収録される。

幻影城掲載誌:24/


ヒッチコック・マガジン

ヒッチコック・マガジン創刊号表紙1959年(昭34)7月創刊。宝石社発行。小林信彦が中原弓彦の名で編集長をしていた。
宝石」では映画監督ヒッチコックの編集するアルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン(AHMM)と契約し、1958年(昭33)から「ヒッチコック・ミステリの頁」を連載していたが、AHMM日本語版を他社から発行したいという打診があったので、宝石社から発行することになった。本国版と連動しつつ、サスペンス小説、奇妙な味の小説のほか、車、ジャズ、拳銃などの特集で人気を博した。1963年(昭38)7月に終刊。通計50冊。



秘密探偵雑誌(ひみつたんていざっし)

秘密探偵雑誌創刊号表紙1923年(大12)5月創刊、杢蓮社発行。三田文学出身の松本泰主宰した探偵雑誌。巻頭には松本泰の創作が掲載され、残りは翻訳で埋められた。
1923年(大12)9月、関東大震災にあって完成した雑誌が焼けてしまい終巻。通計5冊。1925年(大14)に「探偵文芸」として復刊。

幻影城掲載誌:21/



ヒューム,ファーガス(Fergus_Hume)

1859年(安政6)、イギリス生まれだが、オーストラリアの作家。
1886年(明19)、「二輪馬車の秘密」をメルボルンで刊行。大好評のあまり、出版業者フレデリック・トリッショラーはロンドンにて二輪馬車社を設立し、イギリスでも刊行。同書は50万部以上を売上げ、同時代の探偵小説としては空前の読者を得た。しかし、著作権契約を結んでいなかったため、作者であるヒュームには利益をもたらさなかった。
1887年(明20)にヒュームもイギリスに移住し、作家活動をおこなったが、成功しなかった。
1892年(明25)、 丸亭素人が「二輪馬車の秘密」を「鬼馬車」として訳す。
1932年(昭7)、死去。


平井蒼太(ひらい・そうた)

本名平井通。1900年(明33)、名古屋市生まれ。実兄は江戸川乱歩。甥は松村善雄。風俗文献の研究家や豆本の製作者としても知られる。別名薔薇蒼太郎。
1952年(昭27)、「あまとりあ」に「花魁少女」を発表。
1955年(昭30)、「あまとりあ」に探偵小説「嫋指」を発表。
1971年(昭46)、死去。


平塚白銀(ひらつか・はくぎん)

経歴不明。別名青地流介。
1935年(昭10)、「ぷろふいる」に「セントルイス・ブルース」を発表。
ほかに「探偵文学」を舞台として活躍。


平林初之輔(ひらばやし・はつのすけ)

1892年(明25)、京都府竹野郡深田村生まれ。早稲田大学英文科卒。
1919年(大8)、「やまと新聞社」にて文芸評論家を務める。
1920年(大9)、国際通信社勤務に入り、社会主義の研究、「種蒔く人」同人となる。
1922年(大11)、日本共産党入党、のち離脱。
1924年(大13)、「文芸戦線」同人となる。
1924年(大13)、「私の要求する探偵小説」を「新青年増刊」に発表。
1926年(大15)、博文館に入社し、「太陽」の編集主幹に就任。
1926年(大15)、小説「予審調書」を「新青年」に発表。同時にこの作品は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1926年(大15)、「新青年」に発表した「秘密」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
1927年(昭2)、「新青年」に発表した「誰が何故彼を殺したか」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1928年(昭3)、「新青年」に発表した「動物園の一夜」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第四号(1928年版)」に収録される。
当初は探偵小説を一般文学と同列に論じていたが、1928年(昭3)頃から探偵小説を一般文学とは異なる独自の存在としてとらえるようになった。さらに、本格探偵小説を健全派、江戸川乱歩に代表される幻想小説を不健全派という呼んだ。
1929年(昭4)、ヴァン・ダインの日本初訳として「グリーン家殺人事件」が「グリイン家の惨劇」の題で「新青年」に訳される。
1931年(昭6)、早稲田大学助教授就任。
1931年(昭6)、パリで開催された第一回国際文芸作家協会に日本代表として出席。
1931年(昭6)、出血性すい臓炎のため、留学先のフランスにて死去。
死後、書きかけの作品「謎の女」が発見され、1932年(昭7)に「新青年」で完結編を募集したところ、冬木荒之介が当選。冬木荒之介は井上靖の別名である。

幻影城掲載誌:7/9/19/25/別冊幻影城掲載誌:16/


平野謙(ひらの・けん)

本名平野朗。1907年(明40)、京都市生まれ。東京帝国大学文学部美術科卒。父は文芸評論家の平野柏蔭。
1937年(昭12)、「高見順論」を発表。
1940年(昭15)、大井広介の「現代文学」に参加し、荒正人らと知り合う。
戦時中、荒正人、埴谷雄高、佐々木基一、坂口安吾らと、探偵小説の犯人当てに興じる。
1958年(昭33)、「東京新聞」にて「推理小説時評」を担当。
1960年(昭35)、「宝石」に発表に発表した仁木悦子の犯人当て小説「みずほ荘殺人事件」の解答者として、「犯人当て推理小説の条件」を発表し、問題篇に疑問を呈した。
1974年(昭49)に発表した評論集「さまざまな青春」により、野間文芸賞を受賞。
1978年(昭53)、蜘蛛膜下出血により死去。


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